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註釋昭和十一年末に「年の三分の一以上は東京にゐなかつた。これは例年のそのままである」と自ら誌しているように、保田にとって旅は「詩人の生理」に促された生の自然であった。その旅のうちで最も長期に亘ったのが昭和十三年の大陸行だった。即ち五月二日、佐藤春夫とともに大阪を発った保田は、四十余日を朝鮮、満州、北京から蒙古方面に旅し、帰国後、その折の見聞を「コギト」はじめ諸雑誌に寄稿した。本書はその一連の稿を中心に同年後半に書かれた文章を付して十二月に刊行されたものである。